どうする?お墓

昨日アメブロのほうで、手編みパッドちあぱい♪を広める活動をしているお友達のブログをリブログさせてもらいました。
ちあぱい♪の紹介もしてますので、こちらだけ見て下さってる皆さま、よければ↓のアメブロ記事ものぞいてみて下さいね

繋がれ!


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


お礼まわりをしつつ、考えなきゃいけなかったのがお墓問題。
我が家は両親ともに地元を離れて関西に来ました。

母方は九州、父方は愛知にお墓があります。
長男なので本来はうちが管理しないといけないのでしょうが、離れている事や次男である叔父が先に亡くなった事もあり、現在そちらは奥さんである叔母が管理しています。

じゃあお父さんのお骨はどこに入れるか。
生前、と言うか父が自分の意思をきちんと話せる頃にちゃんと相談してればよかったんだけど、もちろんそんな話しは出来てなく。
母によれば、死んだら中国に撒いて~みたいな事を言ってた時もあるらしいけど、その後やっぱりお墓がいるって言いだしてたなぁと。

ただ、私はシングル。
孫も全員女の子。

そんな事もあって、以前から母はお墓は残したくないと言っていました。
そして数年前に新聞広告に入ってたお寺の永代供養が気に入り大事にとってあったのだけど。

実は父のレスパイト入院中、私たちが泊りに行ったお宿にほど近かったので、時間あるし1度見に行ってみる?って寄ったんだよね。
今から思えば、何かの知らせだったのか…
まさかこんなすぐ考える事になろうとは。

でも実際見に行ってたからこそあの母にしては早めに決断出来たのだと思うし、物事って自分の意志でやってるようで実は大きな力に動かされてるのかもなぁ。


前回記事のお礼まわりに行った日の夕方、そこのお寺さんに詳しい話しを聞きにいってきました。
穏やかな副住職さんが応対して下さり、あちこち飛ぶ母の話しをじっくり聞いて、わかりやすく説明していただきました。

永代供養にも何種類かあり、それぞれ50年間置いておく場所が違うけど、50年たったら合祀されるのは同じだそうです。
こちらは宗派問わず申し込めるとの事。
母が希望してるタイプは基本的に個人墓だけど、夫婦は一緒に入れることも可能で、その場合もお代金は1つ分でOKなんだって。

色々聞いて、弟たちにも相談するとこの日は帰宅。

上の弟は元々お墓なんていらんやろって人。個人墓すらいるの?って
下の弟はなんか色々言ってたけど、最終的にはおかんの好きにしたらいいやんって。
その反応に、母はすっきりしない気持ちもあったみたいですが、まぁ結局は気持ちは決まってたので申込みしたい旨を電話。

父と一緒に入るのかと思いきや、上からお父さん踏むの嫌やから別にするねんて(笑)
じゃあ私がお父さんと…って思ったら、夫婦のみって書いてあった
夫婦なんて元は他人やのによくて、血のつながってる親子はなんであかんのよ~。

私の美容院後だったので夕方閉門近い時間に着き、ご自宅のほうへ通されました。
最初は両親の2つをと思ってた私だけど、申込み一緒にしないと同じとこにいれへんやん?と気付き、自分の分も手続きして来ちゃった。
そこでいろいろ確認、お話しも聞いてもらい、無事に3人分手続き完了。
場所は2ヶ所から選べて、日当たりがいいとおっしゃったほうに決めました。

父の分は全額、私と母のは半額を納めてきました。
あ、もちろん自分の分は自分で出しましたよ。
いいお値段だったけど、とりあえずこれでいつ逝くことになっても安心。

実はその一画。
ここどうぞとばかり、あと1つだけ隣があいてたんだよね。
母は下の弟の分をそこにって気持ちが動いてたみたいだけど。
勝手には出来ないし、お金もないのでもちろんそのままに。

母の希望で四十九日や月命日もお願いして来て、母は晴れやかな顔してました。

ここは私の病院とも近いので、診察の時に寄れるしまぁよかったかな。

さぁお墓が用意出来たら、次はそうあれです。
お仏壇!




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お礼まわり終了

父が逝ってしまってから、3週間。
手続きしたり、お仕事も忙しくしていたり、あっという間だったかも。
驚いたことに、父がいた頃はほとんど顔出さずちゃんと生きてんのかな?なんて母と言ってた下の弟。
あれから足繁くやってきては晩ごはん食べて帰ります。
あの子なりに母の心配してるのかな。

最近の母の口ぐせ。
「な~、お父さん!」
祭壇の父に向かって同意を求めて、自分の主張を正しいと言い張る(笑)

こんな風に、私も母と父がいる頃と変わらず話しかけ、そういう意味ではあまり変わりないのかもしれません。
母は今でも入院してるだけみたいって。
でもお役所から来る書類に「本人死亡のため」とあったり、母自身の書類に配偶者なしって書かれてるのを見て
「ほんまにお父さん死んじゃってんな…」ってつぶやいたりしてます。

2人で出掛けたら、お父さんのおやつ買って帰ろう~って好きだったショートケーキや甘いものを買い、お昼にパンを食べたらお父さんのも~ってあんパンを供えて。
父が生きてる頃も、2人で買い物に行っても、気がつけば服やら消耗品やら父の物ばかり買ってたので、母とは生きてても死んでても同じやな~って言ってます(笑)


昨日今日は発表会でした。
大きなトラブルもなく、私の生徒たちのステージは心配してたクラスも含め奇跡的にいい演奏をしてくれて、ホッと一息。

そしてこの日は姪っ子小2も出るので(別の先生のクラスです)母も一緒に来る事になってたのですが、朝に義妹からメール。
「昨日夢におじいちゃんが出てきたそうです」

これ、母が姪っ子に会った時におじいちゃん何してたん?って聞いたら、
おじいちゃんお酒飲んでた!って言ったらしいです

彼女が産まれる頃にはもう症状が出てたので、当然彼女はおじいちゃんのそんな姿見たことありません。
それどころか、歩いてるところすら記憶にあるのかなぁって感じなのですが。
自分の思い通りにならない生活から解放されて、ほんとに今頃好きなお酒飲んで、好きなクラシック聴いたり、中国語の勉強とかしてるのかもなぁ。
そう考えたら、ちょっと幸せな気分になりました


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


前置き長くなっちゃった。
すぐやらないといけないお役所の手続きを終えたあと、私たちが次にしたのは父の介護生活でお世話になった方々へお礼に伺う事でした。
介護サービス結構点数ギリギリまで使ってたので本当にいろんな方のお世話になってました。

まずは10日たった頃に在宅医療で診て下さってた先生のところへ。
父の入院中の経過を聞かれ、カルテに書き込み。
先生もまさかの結果だったらしく、ケアマネさんから電話をもらった時はえ?ってびっくりだったそうです。
奥さんは入院そんなに乗り気じゃなかったのにこんな事になってしまって申し訳なかった、ともおっしゃってました。

母が、「私、なんか涙も出なくて。きっと冷たい人やと思われてますね~」って言ったら

そりゃやりきったからでしょ。こんな小さな身体(私をご存知の方は想像つくと思いますが、母は私より更にちっちゃくて細いです)でほんとによく頑張ったと思う。なかなかそんな人いないよ。
お父さんは幸せやったと思うよ。あの状態で自宅で見てもらえる人はそうはいない。

そう言っていただけて、母はそれならよかったと嬉しそうでした。
私はと言えば相変わらずこんな話ししてたら涙涙です。
先生には、「泣かんといて。泣いたらお父さんが心配するよ。はい笑って」

最後は泣き笑いになりながら、母が「これからも娘はお世話になりますのでよろしくお願いします」と言って帰って来ました。

先生には私がもしも再発したら最後在宅で診てもらいたいと通い始めましたが、思いがけず父もお世話になれ、早朝や診療後の夜にも緊急で来てもらったり、本当に感謝でいっぱいです。
先生が引き受けてくれたからこそ、最後まで自宅介護が出来たのだと思います。


その2日後、訪問看護師さんのところへ。
あいにくいつも来て下さってた看護師さん達には会えなかったけど、所長さんに御礼を伝えてきました。
行きは電車とバスで行ったんだけど、帰りは歩きで。
途中に農産物直売所が出来てるのを見つけ、お安く古都華をゲット

遅めのランチを食べたあと、更に歩いてケアマネさんのところへ。
多分レスパイトの話しを持ってきたのが自分だからだと思うけど、母から亡くなったと聞いてショックやったと。
そして、昨年長期入院していた病院の看護師さんがこの夏に訪問看護ステーション立ち上げるらしく、2人で父に使ってもらえたらと相談してくれてたところだったそうです。
みんなが父と母の事を考えてくれてたんだね。


この日の最後は、デイサービスへのお礼。
利用者さんたちの送りが終了したであろう頃を見計らって行って来ました。
デイではテレビを見たり、疲れたら横になったり、時にはアイコンタクトで返事してくれたりね、なんてデイで過ごしてた時の父の様子を話してくれて、私たちも○○さんがいなくなってさびしいねって言ってるんです、と。
後日最後の請求書が送られてきましたが、スタッフさんから優しいメッセージが添付されていました。

翌日、母ひとりで訪問リハビリの先生のところへ。
こちらもびっくりされてて、退院したらまた行くつもりだったのに…っておっしゃてたそうです。

先週は母と、介護タクシーの事務所へ。
こちらでは、父が歩けなくなってから3年間、京都の病院まで往復3時間ほどを毎月利用していました。
この1年は近場の病院へ行く度に来てもらってて、いろんな運転手さんに介助してもらってました。
京都に行ってた頃は、桜の季節は花のある道を通ってくれたりも。
母も私も車に乗らないので、なくてはならない存在でした。

これでお礼まわりも終了。
どこへ行っても、お父さんは幸せだったと思う、と言っていただけました。
本当にそうだったかはわかりませんが、我が母ながらよくここまで頑張ったと思います。
そしてたくさんの方々に支えていただいた8年間。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

色んな方に母の心配をしていただいてる今日この頃。
幸い今のところ元気にしています!


父が入院してた間の出来事も書きかけのままだし、父が亡くなってからの手続きも自分の備忘録も兼ねてアップしていきたいなと考えてます。
介護生活の事も、まぁここまで自宅でという方は少数派でしょうがどなたかの参考になればと思うので、、ぼちぼち書いていきたいなと思ってます。
またよければおつきあいくださいね





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旅立ちのとき

日曜日、父は旅立ち、家族みんなで見送って来ました。

亡くなった日はお家に連れて帰って来たので、翌日午後に斎場へ運んでいただきました。
お家にいる間はお顔の布もせず、本当に眠ってるみたい。
でもさわるととても冷たく、血が通わないという事はこういう事なのかと。
それでも冷たくてもいい、喋らなくても目を開けなくてもいい、このままずっとここにいたらいいやん、なんて思ってた。

弟が父が元気なころに好きだったビールとお酒、病気になってから好きだったあんぱんを買ってきたので、斎場へそれも持って行き、お供えさせてもらいました。


斎場に着いた後は、きれいに拭いていただき、着替えもして旅立つ準備をしてもらいました。
父が元気な頃からお気に入りだった赤いセーターを持って来たんだけど、母とセーターなんて着せられるんかな?と。
でもちゃんとスルッと見事に着せて下さいました。
そして顎が外れてるせいで開きっぱなしの父の口を、完全に閉じるのは無理だったけど違和感ない程度にしていただき感謝しています。

こういうのを間近に見るのは初めてだったのですが、とても意味のある素晴らしいお仕事だと思いました。

家族葬でと母と決めていたけど何のリサーチもしてなかったから、周辺の葬儀屋さんにお願いしたのですが、担当の方もとても親身になって下さり戸惑うばかりの私たちをサポートしてくれて、母はここにしてよかったと言っています。


遺影の写真ももちろん準備してなかったので、母が1年くらい前にデイで撮ってもらったのを出して来ましたが、もっと何かあるやろ!と探して何枚かピックアップ。
その写真たちは会場に飾られ、祭壇のモニターにも流されてて、みんな懐かしい想いで見てました。

遺影も祭壇も、母と弟は全部私のいいようにし、と。
遠方から叔父や叔母たちも来てくれ、姪っ子たちにも囲まれて父は幸せそうでした。
懐かしい話しをしたり、母も知らないような父の子どもの頃のエピソードを聞いたり、人を見送るってこういう事なんだなぁと。

告別式の日は、姪っ子小2が2時間かけて描いた渾身の両面力作を持って来てくれてそれもお棺へ。
そこには姪っ子からのメッセージと、手をつないだおじいちゃんと自分を描いて来てましたが、私はそれを見て、お父さんが歩いてる~!とうるうる。
母もそれを見て、○○ちゃんが3歳くらいの時、よくこんなふうに「じいちゃん、トイレこっちよー」って連れてってくれてたなぁって懐かしそうだった。

告別式での司会の方とのナレーションの打ち合わせも色々思い出して、涙涙。
でもプロの人ってほんとにすごい。
あんなとりとめのない話しをちゃんとまとめて、素晴らしい言葉で送って下さいました。


お棺にはたくさんのお花と、お供えしてたビールやらあんぱんやら、姪っ子の絵、帽子と眼鏡、大好きだった中国語の本をお供にお空へ旅立って行きました。
いざ出棺となると、口をついて出たのは「行っちゃやだ!」という言葉でしたが、お骨上げをしたら、父はやっと楽になれたのかな、と。

この1年は寝たきり、飲めず食べられず話せず、苦痛を感じてても伝える術を持たなかった父。
今年に入ってからは顎も外れっぱなしで、酸素吸入もしてとても苦しかったのだと思います。
今頃は歩いて、食べられてるのかな、お話ししてるかな、と思うと、これでよかったんだとようやく納得出来た感じです。


土日に全部済ませられたので発表会前なのにお仕事お休みする事もなく、月曜日からお仕事しています。
次の土日だったら、大変な事になってたよ。
きっとお父さん、私のスケジュール知ってたよね?ってくらいのタイミング(笑)
1人になると涙の波がやってくるので、お仕事してると気が紛れて有難いです。


家に帰ると1番にただいまを言いに行き、出かける時は行ってきますを言い、おやつだよー、ごはんだよーって。
夜も今まで通りリビングに寝てるし、結局父を中心に生活してるのは変わりないのかも。


家の中は父の介護用品で溢れてるし、母もまだ入院してるだけみたいって。
でも今日、レンタルしてたベッドと車椅子を取りに来られます。
出かける前に、ベッドと車椅子にお父さんをありがとう、お世話になりましたって言ってきました。
帰宅したらなくなったスペース分、ぽっかり気持ちにも穴があくのかもしれません。


お父さん、今までありがとう。
また会おうね!

最後の夜

ただいま祭壇の前で、父と最後の夜を過ごしています。

昨日のブログをアップしたあと、TNGのお友達から次々LINEをもらいました。
気持ちに寄り添い、温かい言葉で励ましてもらい、とても嬉しかった。
本当にありがとう。

そしてご心配かけた皆様、ごめんなさい。


3月3日は本来なら、レスパイト入院を終えて退院するはずの日でした。

私が病院に行ったのは先週の土曜日、母と1泊した帰り。
その時、何だか呼吸が家にいる時よりしんどそうに感じてちょっと可哀想になったのですが、母に言ったら気にすると思い黙ってました。

母は月、火と行ってましたが、やっぱり同じ感想でもう連れて帰って来たいって思ったって。
行くと離れがたく結局夕方までいたりしたようです。

水曜は2人で以前の病院へご挨拶へ。


そして、木曜日は母は友達たちとランチ、私が仕事前にのぞきに行く予定にしてたのだけど。
お昼頃、病院から電話。

酸素の値がかなり下がってて、0.75だった酸素量を2ℓに上げました。明日の退院はちょっと難しいと思うのでとにかく先生の話しを聞きにすぐ来てくれとの事。

とにかく10分で用意して、駅まで必死で走った。
私が着いた頃には少し落ち着いたようでしたが、一時かなり下がったよう。

ただ採血やレントゲンでは大きな所見も見られず、どこが悪いというものではないと。
でもこの状況で家に帰るのはちょっと厳しいと思うと言われました。

まずは母に連絡をつけてと言われ、それから30回くらい電話するのに全くつながらず…
これはこれで心配になった頃ようやくつながり、すぐに病院へ。

待ってる間にも、呼吸数の下限アラームが何回もなり、その度にお父さん!息して!ってたたいて…
そして母も不安だからという事でしばらく経過を見ながらの入院継続が決定しました。

私は仕事へ、母は泊まろうか迷ったようですが金曜までのつもりだったのでお薬やラコールなどが足りず、帰って改めて翌日来る予定にしてました。



そして3日の朝7時半頃、病院からかなり悪いから至急来てくれとの連絡。
弟たちにも連絡し、病院へ向かいました。

早朝、酸素の値が20くらいになってたそうです。
普段、90切ったらかなり苦しいからと看護師さんたちから聞かされています。

20なんて…

幸い当直の先生の処置で持ち直しましたが、私たちが着いた時には酸素量はMAXの10ℓになっていました。
そのおかげで数値は95くらいになってましたが、看護師さんは呼吸が先に止まるか心臓が先かって感じかも、と。

オムツ交換や着替えをしてもらったのですが、そのすぐ後、アラームが鳴り響き酸素が見る見る低下。
何度も読んで揺さぶったら、この時はまた96まで戻りました。

採血とレントゲンで肺炎の兆候が見られたので抗生剤を入れる事に。

しばらくみんなで病室にいたけど、安定していたのでとにかく薬を取りに帰ろうと母だけ置いて私たちは一旦帰宅。
私は朝から飲まず食わずでノルバも飲んでなかったし。

病室で出来るよう仕事の書類をプリントアウトし、薬や色々準備をして、母に聞きたい事があり電話。

するとすぐに出た母が、お父さんさっき心臓が止まった、あっという間やったん、との信じられない言葉。


帰るんじゃなかった。

お母さんが、お父さんもう頑張らなくていいよなんて言うからやん!

私のためにもっと頑張ってくれてもよかったやん!

向かう車の中でそんな事考えてた鬼娘です。


レスパイトなんてさせなければよかった。
気乗りしなかった母にすすめたりしなければ、まだまだお父さん生きてたんちゃうの?

なんで?なんで?


病室で見た父は、白い顔をして、目と口は空いてるのにいつもの呼吸音が聞こえず、動いてもいない。

ただつけられたままのモニター音がピーと響くのみ。
画面の値は全て0。

酸素もそのまま10ℓ入れられてました。
でも明らかにいつもの父とは違う姿。


後に、これは私が納得するようつけられたままにされてたと聞かされました。

最後に間に合わなかった事に後悔はありますが、私の目の前だったらきっともっと辛かった。
見せなかったのは父の優しさだったのかもと、後で思いました。


看護師長さんからも、母が先生に、父を預けて遊んでたからバチが当たったのかも、と言ってたと聞きました。

でもそれを言うと多分私も傷つけると思ったのかな、私には、この1週間はお父さんから私たちへの最後のプレゼントやったんかもね、と。

それでも悲しくて悲しくて仕方がなかった。
何を見ても涙が出る。

私が吸引出来てたら母ももっと楽で、レスパイト入院なんてしなくてすんだんちゃうの?


エンゼルケアをしてもらって、きれいに整えられた父を見ても寝ているだけのよう。

葬儀など何も考えてなかった我が家。
どこに連れて帰る?となった時、私の中に自宅以外の選択はなかった。
とにかくお家に一緒に連れて帰りたかった。

ちゃんと迎えに来るからねって言ったけど、こんな状態で帰るつもりじゃなかったよ。

元気に帰るはずだったのに。


お迎えが18時だったので、そのまま病室で3時間ほど過ごしました。
私は一旦帰宅して、父を迎えられるよう準備して、また病院へ。

お迎えが来て、顔に白い布がかけられた途端に寝てるだけに見えた父が本当に逝ってしまったんだと涙があふれた。


お家に帰って来て、いつものベッドに横たわり、いつものお布団をかけて。

自宅での時間を全部一緒に過ごしたくて、土曜日に入ってたお仕事は一緒にやる先生にお任せしてしまった。
快く引き受けてくれて有り難かったです。

やっぱり何度見ても寝てるだけみたい。
お口が顎が外れてるせいで開きっぱなしなので、マスクでカバー。

そのまま、斎場まで来ました。


ヒゲを剃り、お気に入りの服を着せてもらい、お化粧もして、すっかり穏やかな顔になった父。
お棺には、私が買ってあげた帽子と中国語の本を。

何かしてると気が紛れるけど、1人になると途端に涙。


だったんだけど、お通夜が始まり、お焼香した時に浮かんだ気持ちは、悲しいじゃなくて、ありがとうだった。

8年間の介護生活だったけど、私は一緒に過ごせて楽しかったよ。
あれもこれも後悔はたくさんあるけど、しんどい気持ちより楽しかった思い出のほうがずっと多い。

今は少し穏やかな気持ち。

お父さん、ゆっくり最後の夜を過ごそうね。

温活♪

日曜日、TNGのお友達に陶板浴に連れていってもらってきました。
みんなのブログでおなじみのところ。
前々から行ってみたかったの。

途中でけこたんと合流して、かこちゃんとの待ち合わせ駅へ。
そしたらなんとだんな様が一緒にお迎えに来てくださってて、その後途中でかこちゃんに運転バトンタッチ。
お休みの日に申し訳なかったです。お世話おかけしました


現地で天音さんたち3人と合流し、6人でまずはランチへ。

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中も広々でとってもかわいくて居心地いいカフェでした。
天音さんの、あっという間に満席になるねんの言葉通り、オープン直後からどんどん人が来てました。

天音さんおすすめのハンバーグのランチをチョイス
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ひろどんが食べてたやつや~ってなりました
チーズたっぷりで美味しかった

食後のカフェラテもかわいいアート入り。
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こっちはMAKIちゃんのクマちゃん
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ゆっくりランチしながら、みんなで色んなお話し。
あまりお話ししたことのないメンバーさんもいたのと、プチオフで天音さんに会ったことがなかったので新鮮な感じ

色々情報交換もしながら、たくさんのお話しをしているうちに、ハッと気がつけば陶板浴の時間が迫ってる~
楽しい時間はあっという間だね~。


で、陶板浴のところまへまた移動。
話しはいっぱい聞いてたし、みんなのブログでも読んでたけど、なんかドキドキ。
今回は私は陶板浴のみだからドキドキする必要もないんだけど(笑)

とてもきれいで清潔感のあるところでした。
おぉ!これが噂のマダムか~とか、ここでヒーリング受けるのね、とか来月に備えてインプット。

今回ヒーリングを受けるのは、さーちゃん、MAKIちゃん、けこたん。
順番に受けて、その間、残りのメンバーは陶板浴へ。

2時間ちょっと入ってたかなぁ。
陶板浴は久しぶりだったので、気持ち良かった♪
その間も、ずーっとおしゃべり(笑)

ヒーリングから帰ってきたメンバーさんのお話しをシェアしてもらったら、すご~い!やら、へぇ~!やら、びっくりする事がてんこもり

みんな、やっぱりHさんはほんものや~って改めて感心。
ヒーリング受けた3人、それぞれ全然内容は違うけど、みんなどこかすっきりした素敵なお顔になってました


私は色々事情があり、来月にヒーリングお願いしています。
帰り際にマダムとHさんに、来月お世話になりますとご挨拶できたので良かったです。

どんな事を言われるのか、自分の見えてないところがわかったりするのか、楽しみでもありちょっぴり怖くもあり…
私もみんなのようにちょっといいお顔になれるといいな

ご一緒したみなさん、楽しい1日をありがとう
みんな言ってたけど、こうしてご縁をつなげてくれた天音さんにやっぱり感謝です


帰宅したら、姪っ子小2からお誕生日プレゼントが届けられてました~

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袋もデコレーションされてて、ぽんぽんのストラップも、それが入ってたびっくり箱(笑)もみ~んな彼女の手作り。
びっくり箱の絵がかわいかった

先日、来月の発表会の練習しにようやく来たけど、それ以来ちゃんと毎日練習してるらしくてちょっと安心。

というわけで、今年も無事に25日にお誕生日を迎えられました
メッセージくれた皆さま、ありがとう


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プロフィール

しずく

Author:しずく
2014年1月乳がん告知。
ステージ3b、リンパ転移あり。
Her2陰性のルミナールB。

2~4月 術前化学療法TC
5月 右乳房全摘+リンパ郭清手術
6~8月 術後化学療法FEC
9月~ 放射線 
を終え、現在10年予定のホルモン療法中です。

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心の雫

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