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最後の夜

ただいま祭壇の前で、父と最後の夜を過ごしています。

昨日のブログをアップしたあと、TNGのお友達から次々LINEをもらいました。
気持ちに寄り添い、温かい言葉で励ましてもらい、とても嬉しかった。
本当にありがとう。

そしてご心配かけた皆様、ごめんなさい。


3月3日は本来なら、レスパイト入院を終えて退院するはずの日でした。

私が病院に行ったのは先週の土曜日、母と1泊した帰り。
その時、何だか呼吸が家にいる時よりしんどそうに感じてちょっと可哀想になったのですが、母に言ったら気にすると思い黙ってました。

母は月、火と行ってましたが、やっぱり同じ感想でもう連れて帰って来たいって思ったって。
行くと離れがたく結局夕方までいたりしたようです。

水曜は2人で以前の病院へご挨拶へ。


そして、木曜日は母は友達たちとランチ、私が仕事前にのぞきに行く予定にしてたのだけど。
お昼頃、病院から電話。

酸素の値がかなり下がってて、0.75だった酸素量を2ℓに上げました。明日の退院はちょっと難しいと思うのでとにかく先生の話しを聞きにすぐ来てくれとの事。

とにかく10分で用意して、駅まで必死で走った。
私が着いた頃には少し落ち着いたようでしたが、一時かなり下がったよう。

ただ採血やレントゲンでは大きな所見も見られず、どこが悪いというものではないと。
でもこの状況で家に帰るのはちょっと厳しいと思うと言われました。

まずは母に連絡をつけてと言われ、それから30回くらい電話するのに全くつながらず…
これはこれで心配になった頃ようやくつながり、すぐに病院へ。

待ってる間にも、呼吸数の下限アラームが何回もなり、その度にお父さん!息して!ってたたいて…
そして母も不安だからという事でしばらく経過を見ながらの入院継続が決定しました。

私は仕事へ、母は泊まろうか迷ったようですが金曜までのつもりだったのでお薬やラコールなどが足りず、帰って改めて翌日来る予定にしてました。



そして3日の朝7時半頃、病院からかなり悪いから至急来てくれとの連絡。
弟たちにも連絡し、病院へ向かいました。

早朝、酸素の値が20くらいになってたそうです。
普段、90切ったらかなり苦しいからと看護師さんたちから聞かされています。

20なんて…

幸い当直の先生の処置で持ち直しましたが、私たちが着いた時には酸素量はMAXの10ℓになっていました。
そのおかげで数値は95くらいになってましたが、看護師さんは呼吸が先に止まるか心臓が先かって感じかも、と。

オムツ交換や着替えをしてもらったのですが、そのすぐ後、アラームが鳴り響き酸素が見る見る低下。
何度も読んで揺さぶったら、この時はまた96まで戻りました。

採血とレントゲンで肺炎の兆候が見られたので抗生剤を入れる事に。

しばらくみんなで病室にいたけど、安定していたのでとにかく薬を取りに帰ろうと母だけ置いて私たちは一旦帰宅。
私は朝から飲まず食わずでノルバも飲んでなかったし。

病室で出来るよう仕事の書類をプリントアウトし、薬や色々準備をして、母に聞きたい事があり電話。

するとすぐに出た母が、お父さんさっき心臓が止まった、あっという間やったん、との信じられない言葉。


帰るんじゃなかった。

お母さんが、お父さんもう頑張らなくていいよなんて言うからやん!

私のためにもっと頑張ってくれてもよかったやん!

向かう車の中でそんな事考えてた鬼娘です。


レスパイトなんてさせなければよかった。
気乗りしなかった母にすすめたりしなければ、まだまだお父さん生きてたんちゃうの?

なんで?なんで?


病室で見た父は、白い顔をして、目と口は空いてるのにいつもの呼吸音が聞こえず、動いてもいない。

ただつけられたままのモニター音がピーと響くのみ。
画面の値は全て0。

酸素もそのまま10ℓ入れられてました。
でも明らかにいつもの父とは違う姿。


後に、これは私が納得するようつけられたままにされてたと聞かされました。

最後に間に合わなかった事に後悔はありますが、私の目の前だったらきっともっと辛かった。
見せなかったのは父の優しさだったのかもと、後で思いました。


看護師長さんからも、母が先生に、父を預けて遊んでたからバチが当たったのかも、と言ってたと聞きました。

でもそれを言うと多分私も傷つけると思ったのかな、私には、この1週間はお父さんから私たちへの最後のプレゼントやったんかもね、と。

それでも悲しくて悲しくて仕方がなかった。
何を見ても涙が出る。

私が吸引出来てたら母ももっと楽で、レスパイト入院なんてしなくてすんだんちゃうの?


エンゼルケアをしてもらって、きれいに整えられた父を見ても寝ているだけのよう。

葬儀など何も考えてなかった我が家。
どこに連れて帰る?となった時、私の中に自宅以外の選択はなかった。
とにかくお家に一緒に連れて帰りたかった。

ちゃんと迎えに来るからねって言ったけど、こんな状態で帰るつもりじゃなかったよ。

元気に帰るはずだったのに。


お迎えが18時だったので、そのまま病室で3時間ほど過ごしました。
私は一旦帰宅して、父を迎えられるよう準備して、また病院へ。

お迎えが来て、顔に白い布がかけられた途端に寝てるだけに見えた父が本当に逝ってしまったんだと涙があふれた。


お家に帰って来て、いつものベッドに横たわり、いつものお布団をかけて。

自宅での時間を全部一緒に過ごしたくて、土曜日に入ってたお仕事は一緒にやる先生にお任せしてしまった。
快く引き受けてくれて有り難かったです。

やっぱり何度見ても寝てるだけみたい。
お口が顎が外れてるせいで開きっぱなしなので、マスクでカバー。

そのまま、斎場まで来ました。


ヒゲを剃り、お気に入りの服を着せてもらい、お化粧もして、すっかり穏やかな顔になった父。
お棺には、私が買ってあげた帽子と中国語の本を。

何かしてると気が紛れるけど、1人になると途端に涙。


だったんだけど、お通夜が始まり、お焼香した時に浮かんだ気持ちは、悲しいじゃなくて、ありがとうだった。

8年間の介護生活だったけど、私は一緒に過ごせて楽しかったよ。
あれもこれも後悔はたくさんあるけど、しんどい気持ちより楽しかった思い出のほうがずっと多い。

今は少し穏やかな気持ち。

お父さん、ゆっくり最後の夜を過ごそうね。
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コメント

No title

しずくさん、お父様のご逝去お悔やみ申し上げます
ご家族に見送られて、お父様は幸せだったと思います。

しずくさんがお父様と一緒に過ごした時間
全てが大切な時間だったと思います。

読んでいて父が亡くなったときのことを思い出しました
私の父も似ていて、退院する日に体調が悪化し転院
その後あっという間に空に昇っていきました


お母様を支えてあげて下さいね。
そして、しずくさんの心が元気になるの願ってます。

Re:

> 清和さん

清和さん、ありがとうございます。
無事にお見送りしてきました。

清和さんのお父様も突然だったのですね。
あれもしてあげればよかった、これも…と後悔はいっぱいですが、
今はお空のどこかで見ててくれるかなと思ってます。

清和さんを見習って、母を大事にして生きますね。
優しいメッセージありがとうね。
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プロフィール

しずく

Author:しずく
2014年1月乳がん告知。
ステージ3b、リンパ転移あり。
Her2陰性のルミナールB。

2~4月 術前化学療法TC
5月 右乳房全摘+リンパ郭清手術
6~8月 術後化学療法FEC
9月~ 放射線 
を終え、現在10年予定のホルモン療法中です。

2017年3月 8年介護した父が旅立ち、母と2人暮らしになりました。


↓のアメブロで更新のお知らせをしています。
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心の雫

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